「は?」

我ながら随分まぬけな声だったとは思う。上司の命に疑問で返すなど、普段の自分にはあり得ないことだった。あの下着無着用主義の変態から赤のジャージを着ろと言われた時以来の失態だ。その時のことを思い出すとまた頭の中がややこしいことになるので慌てて振り払う。あまりの衝撃に少し混乱してしまったようだ。落ち着け。聞き間違いだったのかもしれないじゃないか。ああそうさ、その可能性の方が高い。この真面目な上司がそんなことを言うはずが無いだろう。全く、仕事の疲れかな。

「・・・どうした?」
「あ、いえ。すみません。もう一度、仰っていただけないでしょうか。日頃の休養不精のせいか聞き間違えをしたようで」

黙り込んでしまった僕に馬子さんが不審そうに声をかけてきた。慌てて謝罪と仕事内容の復唱をお願いする。
いけないな、集中しないと。背筋に力を入れ、ピンと伸ばす。久しぶりに座位でない仕事を、それもこの方から直々に任せていただけるのだから。






足の怪我は薬のおかげか経過が良く(その薬を調合したのがアレでなければ言うことなしだったのだが)、一週間もすると支えなしで歩けるようになった。これには大いにホッとした。毎日毎日、仕事場まで背負って連れていくと言う芭蕉との攻防にホトホト疲れていたからだ。

「いいです。いらないです。」
「なんでー!?ほら、早くおいでよ。そんなふらふらの状態じゃ、着くころにはお昼になっちゃうよ」

ねぇねぇ。割烹着姿の芭蕉が僕の裾を引っ張りながら上目づかいで言ってくる。いやいやいや、そんな眼されてもちっとも心動かないからね!!うっとうしい、と言ってその手を振り払う。妹ちゃんのヒド男!!そう言って泣き崩れる姿にイライラと拳を握った。こんなことしてる場合じゃない。それこそ本当に遅刻じゃないか。

「弁当だけで十分助かってますから、ほんと、それ以上何もしなくていいですから!!」
(何が悲しゅうて大の男が割烹着姿のこれまた男に背負れて行かなきゃならんのだ)
「あと、妹ちゃんは止めてください」
「ええ、かわいいのに。親しみも込めて。あと愛情もちょこっと」
「やめろ気色の悪い!!」
「ヒド男・・・。一緒に暮らしてるんだからもっと仲良くやろうよ―」
「外でそういうこと言わないでください!!変な噂がこれ以上増えてたまるかっ」
「えー」
「・・・次、<一緒に暮らしている><妹ちゃん>と言ったら問答無用で腕ちぎりますよ」
「はーい、妹ちゃオッフアアアア!!」

そんな押し問答の末、結局根負けして送ってもらうこととなった。悔しいが、芭蕉の脚力は本物なのだ。自分が本気を出しても追いつけないのではないかと思う。日頃体力作りとしてトレーニングは欠かしていないが、彼の健脚は訓練でできたもの以上だ。時間を決めて鍛えたのではなく、もっと日常的に、息をするように行ってきたような―――

「妹子くん、着いたよ」
「あ、ありがとうございます」

職場近くの林に降ろしてもらう。さすがに人目は避けたいところだ。何を言われるか分かったもんじゃない。只でさえ、芭蕉と自分が往来で抱き合っていたなどと言う不名誉極まりない噂が流れているところに(芭蕉のが持たせてきた弁当の「LOVE」という文字も広まる決め手となった。)2人で出勤していたなんて知られたらどうなることか。
帰りは自力で帰っていた。芭蕉には「いつ仕事が終わるか分からないから、待たせるのが悪い」と言っておいた。(その言葉に感激して抱きつかれそうになったので、松葉づえの先で受け止めてやった)そんな日々を続けていたため、脚力の衰退に比例するように腕力がついていった。足の療養によって、スピードは若干損なわれたものの、腕力は鍛えられていた。つまり、戦闘力は怪我する依然となんら遜色はないということになる。そのことが、思うように体を動かせない自分にとって唯一の救いだった。脚力では叶わない芭蕉も、妹子の力には敵わない。あんなヘラヘラした変態に負けるなんて自分のプライドが許さなかった。しかし、あの速さは自分には無いものだ。妹子は思う。腕力で自分より上のものはいない。そこに芭蕉の脚力があれば、

(芭蕉さんの鍛え方、参考にしてみよう―――)
良いものであるならば、なんでも吸収しようとする、そこが、小野妹子最大の美点だ。





「小野。お前、足の具合はどうだ」
「はい、日常生活は何不自由なく行えます。体力も依然と変わらないかと」
「ふむ、では、お前を見込んで頼みたい仕事がある」
「はい」

復帰後、初の仕事だ。何があっても全うしなくては。自然、緊張が体中に走る。

「お前の戦闘力は高い。私はそのことをとても信頼しているつもりだ」
「ありがとうございます」
「だからだ、その、別にお前が憎くて頼むわけではないし、これは、必要なことであるから」
「・・・・?」
「あまり、気にやまないでほしいのだが、」

どうしたのだろうか。馬子らしくない、歯切れの悪い物言いだった。常ならば要点のみこちらに伝えて終えるはずだ。有無を言わさぬ迫力で。だらだらと話を続けるというのはこの人らしくない。心なしか目線も泳いでいないだろうか。挙動不審(といってもいつもよりと言うだけで傍から見れば落ち着いたものだ)な姿に、思案を巡らせる。
言いづらいということは何か任務に危険なものが入っているのかもしれない。病み上がりの自分には頼みづらいということなのか。しかし、先ほど体は大丈夫かと聞いてきた。それに是と答えたのだから、危険性については心配していないだろう。
ということは―――?
ぐるぐるぐる。考えても仕方がない。自分に頼もうとしているということは、できる可能性を持っているということだ。それならば、受けるまで。意を決して口を開く。すぐにこの決意を後悔することになるなど、僕は気付かない。

「馬子さん、大丈夫です。僕は多少の危険があろうとも、任を途中放棄したりしません。必ず全うします」
「・・・・その言葉に偽りはないな?」
「はい、ですから安心して任せてください!」
「そうか、助かった。実は頼みたいのは護衛任務なのだが、困ったことになってな――――」




「ちかん?妹ちゃんが捕まえるのゴファアア!!」
「はい、最近多いらしくて」
「グフ、良かったじゃない、ゴホッ最近鬱憤たまってるんでしょ?ゲフッ、ちかんだったら思いっきり暴れても捕まえたらオールオッケーじゃん」

脇腹を押えながら、芭蕉は懸命に相槌を打っており、横目でそれを見ながらタフだなー、と感心した。これも見習っておくべきだろうか、とし少し考えてみる。妹子が考えているさまをどう捉えたのか、芭蕉は涙目で訴えた。

「いつもより攻撃的じゃない?ちかん相手じゃ不満なの?あ、トラウマとか?」
「僕はオ・ト・コですからそんな目にあったことはありません」
「ゲフェ、わ、わかったから、ぐるじい」

――頼まれたのは、痴漢撃退、だった。護衛するのは、女性だ。近頃、日の入り間近に仕事を終える彼女たちを標的とした犯罪が何件も起きているらしい。最初は巡回程度の対応だったのだが、日がたつにつれエスカレートするソレに、とうとう本格的に動かざるを得なかった、ということだと聞いた。しかし、何故か犯人は警備の隙間を抜けるのだ。このままでは捕まえることはできない、そこで妹子に白羽の矢が立った。
朝廷で一番の体術使いであり、朝廷で一番(本当に不本意で憤死できそうなほど認めたくないが)女装しても違和感のない、男。
所謂おとり捜査を行うのだ。しかも、相手が引っ掛かるように、自分ひとりで行うという異例の策だ。女と間違われ、被害を被ることの堪えなかった妹子には言いづらい仕事であろう。無神経に任を告げなかった馬子の心配りを嬉しく思った。怒るとするなら、これを簡単に請け負ってしまったカレー野郎に対してだろう。上司に不満を感じたら、フリーダイヤルおー人事おー人事。



是は急げ、と、翌日には作戦の準備に取り掛かることとなった。馬子の指示で、警察署へ出向かい、担当者の指導を受けた。犯人の狙う女性は決まっているとのことで、適度な露出を指示された。おとりのための服は用意されており、短めの丈に嫌悪感を抱いたものの、仕事だ、と100回自分に言い聞かせて、着た。足を出しているため、涙を流しつつ毛の手入れを行う。何でこんなことを。
一応、自分の筋肉では女性に扮することなどできないのでは、と言ってはみたものの、顔が可愛ければ、の一言で一蹴された。それ以上抗議しなかったのは、やたらと視線を感じるためだ。歩くたびに、おそらくは、職場の、男、から。胃にムカつきを覚える。なんだよ、見せもんじゃない、と心中で悪態をつく。こんな奴らに痴漢が捕まえられるはずがなかったわけだ。実際に手を出してくるなら相応の対応ができるが、視線だけではどうにもできず、やり過ごすしかない。卑怯者め。
気持ち悪い。露出した足に感じる視線のせいだろうか、這いまわるような、ぞわりと総毛立つ嫌な感触が―――

「って、お前かぁぁぁ!!」
「せくしーッッ!!」

妹子の足を撫でていたのは芭蕉だった。極度の緊張状態にあった妹子の体は、見知った顔に気が緩み、ここぞとばかりに渾身の一撃を入れた。
後にこの時のことを目撃者は語る。 天使のような笑顔で、悪魔のような攻撃を繰り出していた、と。
その恐ろしさは瞬く間に彼の噂をかき消すほどに広がり、妹子のことを好奇の目で見る者はいなくなったという。

3.警察届けってどうやって出すんだっけ





(なに堂々とセクハラしてんだこの変態が!!)



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