あまりに天気がいい日だった。雀の鳴く声。上司に付き合わされることもなく、自分のためだけに時間の使える日。
ああ、それなのに。
体質ですか。僕の細胞には何か面倒事を引き込む某掃除機のような吸引力があるというのですか。それとも何か悪いことをしましたか。身に覚えはないですけど、謝ります。謝りますから―――――
取りやえずあのおっさんをどっかやってください!!
気持ちの良い朝日に導かれ、ゆっくりと目を開く。珍しく休暇を頂いていたその日は、家の掃除でもしつつ軽く運動がてらに川縁までジョギングしてみようと考えていた。なぜか上司に制服として宛がわれた袖のついていない真紅のジャージは、こういう時には役に立つ。(もちろん仕事場では着用することはない。)ノースリーブも、慣れてしまえば動きやすく、休日にはこの姿が多かった。
思い切り背伸びをしながら、体をほぐし、屈伸をする。体を動かしながら本日の走行ルートを決めるのだ。
(最近はあのバカに振り回されて有給を無駄にしてしまったし、今日こそはあのルートを制覇しよう)
いち、に いち、に
左右に体を捻りつつ、地形を頭の中で回想する。無駄ないコースを考えていくことが最近のぶーむであった。
大方決まったところで深呼吸をし、ゆっくりとスタートした。
まずは、法隆寺かな。
軽やかな足取りで走りだす。一人分の足音が静かに辺りに響き渡っていった。
はっ はっ はっ
一定のリズムで呼吸を繰り返し、速度を保つ。本日の折り返し地点である一本松が遠目ではあるが確認できたことで、若干拳を握りしめ、スピードを上げた。
(いいぞ。今日はいつもより早く回れそうだ)
あと少し。大きくステップを踏んで、
ぐに。
(ぐに? って――――っ!!)
軟らかいとも固いともつかない、不可思議な感触を足もとに感じ、視線をやる。恨めしそうな、(いや、実際そう思っているかは分からないが)顔がこちらを見上げていた。
「うわっ!!」
思わず足をどけた。なんだこれ。
つまみ上げると、だらりと四肢が垂れ下がっている。無表情な顔についている双眸は、どこか虚空を見つめていた。全身からぐったりしたオーラがただ洩れだ。
(うわ、変なもの拾っちゃった。何だろうこれ。人形?ぬいぐるみ?なんでこんなところに落ちてるんだろう。呪詛にでも使われそうな雰囲気だし。嫌だな。触っちゃった)
どうしようかとしばらく逡巡する間もなく、答えは出た。
うん、捨てよう。呪われませんように、そう呟きつつそっと元の場所に置こうとした。
もう少し拾う時間をずらしていたら、また、違った未来はあったかもしれない。しかし、まさに置こうとした瞬間、という絶妙なタイミングで、そいつは現れた。
「っあ〜〜〜〜〜〜〜!!」
「えっ?」
叫び声が聞こえ思わず、手にしていた物体Aを握りしめた。人間、不意打ちには近くのものに縋りたくなるものである。
男は、叫び声を上げた地点からここまでの距離を一瞬にして縮め、妹子の正面に立った。
(な、に?)
驚き、体が対応できないでいる間に、男は右手を振り上る。
体が反射的にバックステップを踏んだ。かろうじて攻撃をよける。ひゅん、という空気を切る音と、こぶしの軌跡がかろうじて見えた。当たっていたら、とぞっとするような早さだった。
(なんだ。この人。)
やばい。
誰の差し金かは知らないが、こんなところでやられるわけにはいかない。
こめかみから流れる汗を拭い、両手を前に突き出し、戦闘態勢に入る。
と、男の目が、僕の左手に注意を向けた。その一瞬を逃さず、腰を屈め、右の拳を思い切り突き出す。が、そこに既に男の鳩尾はなく、力に任せてバランスが崩れた。
倒れる。受け身を取る態勢に入るが、左がふさがっている。
邪魔だ。と宙に物体Aを放り投げ、向かってくるであろう男を迎える構えを取る。が、何を思ったか、男はその投げたものに向かって飛んだ。
(え、そっち!?)
すとん。と、きれいなフォームで着地した男の手には、しっかりと物体Aが握られていた。
ぽかん。 まさに効果音がふさわしい表情で男を見つめた。まったく意図が読めない。
そんな頭の中が疑問詞でいっぱいの妹子を差し置いて、目の前の人物は、拳をこちらに繰り出した時とは人が変わったように眉尻を下げ、ぐったりした物体Aを抱きしめて、つぶやいた。
「マーフィー君っ・・・・よかったぁ」
状況についていけていない妹子も、物体Aの名前がまーふぃーということだけは、なんとなく分かった。
互いが自分に仇なすものではないと分かってからの男の対応はすごかった。
自身の無くしたと思っていた友達を、妹子が投げようとしたから、てっきり苛めているのかと思って止めに入ろうとしたらあんな形になってしまった。まさか見つけてくれた恩人に危害を及ばせようとは思ってもいなかった。申し訳ない。なんとお詫びをすればよいか。怪我はないか。大丈夫か。
そんなことを一気にまくし立てつつ、けがはないかと、服の上からにしろ、ベタベタと全身を弄られた。
出発時こそ人気のない閑散とした道も、今ではすっかり日が昇り、人通りも増えた。つまり、人の目が増えたことになる。男の大きな声では注目を浴びてしまうのだが、相手は無自覚なのか、全く意に介している様子はない。加えて、道の往来で男同志にしろ、この密着度は如何なものか。いや、まずいだろ。ものすごく。さっきから何か変な視線感じるもん。変な話声まで聞こえるもん。それよりさっきから触りすぎじゃないですか。
「な、ちょ、どこ触ってるんですか!!」
「いや、だって服、こんなに赤くなって・・・血が出たんじゃ」
「出たんじゃ、ないですから!!もともとこんな色です。襲い掛かる前に見たでしょう。」
「いや、だって、夢中でそんな余裕なかったし」
「〜〜〜〜〜っ!分かりました。怪我してないですし、あなたがこれ以上何もしないというのならいいですから」
「え、でも」
このままじゃ埒が明かない。いや、もう気にしてないというのは本当だが、どうにも納得してくれないことには・・・・
そして、いい加減周囲からの好奇の視線が痛い。先ほどから聞こえる「小野妹子が」「あの真面目な方が」「男と「違うわ――――――!!」
それ以上は聞いてはいけない気がした。何か大切なものを失ってしまいそうな。
突然の大声に、それまで集まっていた人々がとたんに散っていく。思わず突っ込んでしまったが、まぁ、結果オーライということで。踵を返して帰ろうとしたら、未だに心配だと顔に書いた男と視線がかちあった。
「・・・・・これ以上僕、変な眼で見られたくないんですけど」
半眼で刺々しく返してやれば、ケロリとした笑顔が帰ってきた。
「ああ、さっきの?別に気にしてないよ」
「あなたがそうでも僕は気にするんです」
「んー」
男は納得していないようだった。先ほどから、でも、だって、を繰り返し、その場を動こうとしない。何が気になるのかは知らないが、早々に立ち去ってほしいのだけれど。話が通じないようで、イライラする。この手の人間とかかわるのは、自分の上司だけで十分だ。
「あれ、どこ行くの?」
妹子がいないことに気づくや否や、あわてて追いかけてきた。
「帰るんです。」
「いやだって、」
尚も続けようとする男に、妹子は切れた。
「もう、何なんですか。さっきから。言いたいことがあるならさっさと言ってください!こんなところで立ち往生している場合じゃないんです。せっかくの休日なんだからやりたいこととかいっぱいあるのに。暇じゃないんです。僕。上司に付き合わされていろんな所に行かされたり、させられたり、毎日忙しくてしょうがないんです。たまには自分の時間を有効に使いたいじゃないですか!!」
なんだか言ってることが矛盾しているような気もしたが、一気にまくし立てた。しかし、怒りのぶつけ先である当の本人はけろりとしている。代わりに、隣を過ぎ去った商人がビクリ、と肩をすくませて逃げるように去って行った。
「大変なんだね」
「ああ、もういいです。なんでも」
まったく的外れな回答に涙が出そうだ。誰か助けて。この人怖いよ。
思わずしゃがみこむ。やってやれんわ。合わせて男もしゃがみ込んだ。もうどうでもいいよ。
「あれ、やっぱ痛くなっちゃった?だから待ってって言ったのに」
「・・・・・?」
「はい、両手出して―」
「・・・・(いきなり何言うか)」
「早く、早く」
「・・・・こうですか」
「はい、よいしょー」
「のわっ!!」
いきなり視線が高くなった。ふわりと体が浮く感じがして、次いで訪れる温かさ。俗にいう、おんぶ、の形である。
「え、ちょ、な!?」
「どの辺が君の家?」
「は!?え?」
「早く。ここに居たくないでしょ?」
「あ、こ、この道を真っすぐ行って右、側の道を「あー、待った。言われても分かんないや。取りやえずこの道成りに真っすぐ行くから、分かれ道になったら聞くよ。私が止まるまでしゃべらないでね。舌、噛むから」
「ちょ、待っ〜〜〜〜〜〜!!」
抗議の間もなく周囲の景色がどんどん視界から消えていく。下手な馬よりも早いと思われるその脚力に疑問を抱く間もなく、先ほどの戦闘の、おそらく受け身の際に捻ったのであろう右足首辺りから発せられる猛烈な痛みに思考はすべて奪われた。
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