主夫してる作家と外働きな2人の男の朝

カタカタ、



広い室内にキーボードを叩く音のみがひびく。

規則正しいリズムを保ち、けして途切れることのなかったそれはついに、止んだ。
最後の一文字を入力し終えた芭蕉は、長い拘束から解放されたことを全身に伝えようと、立ち上がって大きく延びをした。
ここ3日間、体のうったえる必要最低限の生理的欲求しか飲まなかったこともあり、凝り固まった体は与えられた休息、緊張からの解放を存分に味わった。
しばらく腰を動かしていた芭蕉だがふと思い出し、慌ててPCの保存を行った。
以前同じ行動をとった時、うっかりコードに引っかかり、主電源を落としてしまったことがあったのだ。





――締め切りに間に合わない!

そのことを告げたときに見た、担当の鬼のような笑顔は今でもって忘れない。
一見穏やかな微笑をたたえていたが、背後には般若が佇んでいた。
いつものように断罪チョップを食らわせてこないのは、一応仕事場だからだろう。(この担当は自分以外にはとても礼儀正しいことをここ数年で十二分に思い知った)
あまりの恐ろしさに固まった芭蕉が泣きながら謝るのを十分に見届けた後、「こんなこともあろうかと思いまして」と、本来の締切まで後2日あることと、ビジネスホテルを予約していたことを告げられた。驚嘆する間も、断る間もなく拉致監禁(正確にはただの缶詰)されたことは今も忘れない。
四六時中寝食を共にして身も心もへとへとになったあの地獄の2日間。
最終日のいきいきした担当の―――河合の―――表情は今もトラウマである。

思い出しては身震いする。
しかし、と先ほど書きあげた作品の入ったUSBを愛おしげに撫でる。
今回は時間も充分に取れたし、自分としても比較的満足のいくものを書けたと思う。
打倒河合の決意を胸に、作品を書き続けて早数年。葬られた作品は数知れず。

(ふふん、今回こそはあの鬼担当をうならせて「松尾大先生」と呼ばせてやる)


しばし自身の妄想に浸っていた芭蕉は、カーテンの向こうがうっすらと明るくなってきていることに気づいた。
時計をみると短針が5の時を指している。
普段なら、これから一眠りするところだが。河合を唸らせれるかもしれないという、高揚した気分のままでは眠れそうにない。
「彼ら」が起き出すまで後2時間。

そうだ。久しぶりに私が朝ご飯を作ろう。
太子も閻魔もびっくりするかな。





ここ数カ月、作品のアイデアを練ったり書き出しては消したりを繰り返すうちに、朝の準備をすっかり二人に任せきりになっていたのだ。

(洋食派の閻魔くんと、和食派の太子くんの攻防戦もいまではすっかり慣れちゃったしな)

くすくすと昨朝のことを思い出して笑う。確か、目玉焼きかスクランブルについての議論だったはずだ。


芭蕉が作るときは二人ともおとなしく食べる。今日はおたまとしゃもじの戦いを見ずに済むかもしれない。それは助かる。
(だって片づけはいつも私なんだもの)
さんざん暴れた2人は時計を見るなり「遅刻だ遅刻だ」と競うように出勤していくのだ。必然的に残留派の芭蕉が後始末をする羽目となる。まぁ、締切間近の芭蕉の身の回りの世話は2人に任せきりなのだから、あいこなのだ。・・・どちらが選んだ服を着るのかで争う2人を締め切り前の焦燥感から一喝で黙らせたことは少なくないが。

朝ごはんか。うん、ふと浮かんだ思いつきだが、我ながら素晴らしいじゃないか、となんだかウキウキしてきた。
よし、ちょっと品数増やしてみようか。
ご飯は釜で炊いて、お味噌汁を贅沢してカツオと昆布でダシをとろう。
玉子にネギを刻んで入れて、竹中さんとこからもらったゴボウと人参できんぴらもいいな―――
「元」料理人の腕が鳴る。
ぐるぐると腕を回しながら台所へと向かっていった。
「良いにおい〜おっはよ!!ばっしょさん♪」
「ちょ、っと!!閻、魔!!後ろから抱きつかないでっていつも言ってるでしょ!!包丁持ってるんだから!!」
「えー、エプロン姿がたまらな」
「はいはい、閻魔落ち着けー。おはよ、芭蕉さん」
「ああ、おはよう太、て・・・え!! ごめ!!もうそんな時間!?ああああどうしようまだお味噌汁できてな…」
尋常ではない慌て様。完全に遅刻だと勘違いしている芭蕉に、苦笑して太子は口を開いた。出勤10分前起床がざらな自分がこの場にいることがそんなに不思議だろうか。
閻魔の時と異なる対応にちょっとすねてみせる。早起き、頑張ってみるべきか。
「私がこの時間に起きてたら不服〜?せーっかく芭蕉さんがご飯作ってくれたから、早起きしたのに」
「ごめん、太子。ちょっとびっくりしちゃっただけなんだ」
あはは、と二人の間に穏やかな空気が流れる。と、黙っていた閻魔が口を開いた。
「ああ!!、ばっしょさん、噴いてる噴いてる!!」
「ヒヒィ、止めて止めて!!」
「ば、素手でやったら危なっ」
「アッツイ!!」
「わあああ、水水!!」
シンクの傍にいた太子が慌てて蛇口を開いて水を飛ばす。全開で。
「ブッ!!つめたっ」
「ちょ、太子!!出し過ぎ出し過ぎ!!」
「ヘブゥ!!」
「ワアァァァ!!芭蕉さん、太子がシンクで溺れてる!」
「ええ!?10cmも無い水深でなんて器用な・・・」
「いや、蛇口止めようよ!!」

タオルタオル・・・とあわてて洗面台へと芭蕉が走り、スーツじゃなくてよかったと笑う太子と閻魔。

ばたばたと、過ぎるあわただしい時間。
息をつく暇もないのにどこかほっとするひととき。


低血圧の2人が、朝ご飯の香にいつもより早起きし、3人そろって「いただきます」ができた、ある日の朝の光景。


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閻魔は芭蕉さんの和食なら文句言わずに食べてればいい。あ、閻魔と太子ももちろん仲良しトゥナイトですよ^^
上司組が仲良ければ世界は平和だと信じて疑いません。
なぜが出てきた担当の河合さん。件の二日間はとても楽しかったと同僚に話していたそうです。