ジリジリジリ
剥き出しの肌に容赦なく照り付けてくる太陽を麦わら越しに睨み付ける。
ここ数日降り続いた雨が嘘のような雲ひとつないスカイブルー。
どこか透明感のある吸い込まれそうな蒼が綺麗だ、と思う感情は身を焼かれるような暑さによって何処かに追いやられてしまった。
あーあ、のど渇いたな。
ぶちりぶちり。目の前の雑草を引き抜きながら考えることと言えば、早く終われ、とそればかり。
寝坊で遅刻。なぜか鞄の中から出てきた携帯ゲーム。
何とも情けないダブルプレーを受けた今朝。罰として言い渡されたのはゴミ袋いっぱいの草むしり。
怨むべきは深夜まで長電話に付き合わせてきた先輩か、寝ぼけて夜中に自分の鞄へDSを仕舞ってきたルームメイトか。
2人ともちゃっかり罰を免れているあたり腹が立つ。暑さのせいでさらに怒りは倍増だ。
くそ、後で飲み物おごらせよう。
昔懐かしの炭酸飲料水を思わせる空を見ながら思わずゴクリ、と唾をのむ。
いいなぁ。キンキンに冷えたあの液体が、炭酸特有の刺激を伴ってのどの奥へと流れていくのだ。ひんやりとした冷たさとあの、のどごし。想像すると、祭囃子が聞こえてきた。そうそう、いつも入り口近くの店で買ってたよな。
プシュ、と気圧がさがる音とともに、中のビー玉がゆっくりと定位置へ下りる。そのままあふれる甘い液体をこぼさないように慌てて口を付けると、渇望した潤いで満たされて―――
「何一人で現実逃避してんだよ」
「ラムネ飲んでるんだよ」
「いや、意味がわからない」
かみ合わないやりとりをしながら、今朝のそれで引っ掛かっていたのは自分だけではなかったことを思い出した。鞄から出てきた没収品の裏にはご丁寧に"小野妹子"と書かれていたのだ。日頃から持ち物1つ1つにマーキングする几帳面な性格が災いしたな、と笑うとうるさいな、と返された。ゲーム機の誤解は解けたが、どの道遅刻のせいで逃れられない美化活動。それならば道連れがいた方がいくらか気分が軽くなる。
反応が無い自分に怪訝な表情を向けてくる妹子に、いや、こっちの話、と返した。
「あ、ぼくちょっとここ離れるから、袋よろしく」
「お前こそ逃避じゃねーか」
「馬鹿。トイレだよ」
去りゆく妹子に、それでもここの暑さから一時的に逃げれるじゃないかと思ったが、やりとりを長引かせるのもこの暑さでは面倒だった。
よろしく、と言われた袋を自分の方へと引き寄せる。頼まれたからには、近くに置いておいた方は安心だった。
自分の袋と、妹子の袋。
2つが並ぶと、明らかに小さい手元のソレ。
――中身、移してしまおうか
蝉が叫ぶ真夏の午後、聞こえてくるのは悪魔のささやき。
目の前の2つを合わせてしまえば、1人はもうこの炎天下から抜け出せるのだ。
ゴクリ、先ほどとは違う意味で喉が鳴る。
――やっちゃえば?抜け出したいんだろ?
袋に手をかける。大丈夫、小野は戻ってこないって。それに、幸い自分の他に人はいない。・・・はずだ。
そう自分に言い聞かせつつ、それでも周囲を見渡してしまう。
すると。重力に逆らい天へと延びる髪の毛の男と目が合った。校舎の陰からこちらを窺っている。
「あ、やっと気付いた」
その男子学生は自分を視界に入れてくれたことが嬉しかったらしく、満面の笑みでこちらに駆けてきた。
だいぶ前から待っていたらしく、額に前髪が張り付いている。
「声、掛けてくれれば良かったじゃないすか。芭蕉さん」
「あ、もう!"先輩"って付けてよー!!」
両の手で拳を作り、"ぷんぷん"と素で言ってくるような男の上級生を先輩とは言いたくないです。
言葉にはせず、乾いた笑いで拒絶した。そんな仕草があり得ないほど似合ってしまうのが、松尾芭蕉なのだから今さらだ。
そして、そんな人物を"かわいい"などと至極恥ずかしい感情で見てしまう自分も、本当は拒絶したいところだった。
「何か用ですか」
芭蕉が1人で鬼男の元を訪れることは珍しい。必ず、釣り目のあいつや、垂れ目のあいつがガードマンのごとく左右を固めているからだ。
「これを渡しに来たんだよ―」
はい、と言って渡されたもの。
青色の溶けたガラス瓶が3つ、そこから気泡が立ち上る。これは、
「ラムネ?」
「うん。鬼男くん好きでしょ?昔から祭りの度に買ってたもんね」
「俺、芭蕉さんと祭りに行ったことないッスよね」
そんなことがあったのなら、けして忘れるはずがないだろう。幾度となく取り出して、その思い出に浸っているに違いない。
「って、閻魔が言ってた」
「・・・ああ、そんな気がしてました」
自分の1つ上の学年に在籍する釣り目のいとこを思い出す。昨夜の長話を思い出し、無意識のうちに眉間にしわが寄ってしまったようだ。怪訝そうな芭蕉に、慌てて取り繕うように質問を投げた。
「俺になぜ、これをくれるんですか」
「あ、閻魔に頼まれてさ。"かなり怒ってるだろうから、芭蕉頼むよ―!!"って半ば泣きつかれて。面白いからほっといても良かったんだけど、鬼男くんと久しぶりに話すのもいいかな、って思ってさ」
えへへ、と笑う顔がまぶしく見えるのは多分、気のせいじゃないんだろう。火照る頬を、水滴の生まれた硬質の肌で冷やす。
この人と話すときはいつも落ち着かない。けれど、不快ではない。
「あの、」
「なーに?」
どうしたの?と小首を傾げる仕草すら。
同性に、年上に、抱く感情ではないということを知っている。
唯一の接点が恋敵手であることも、昨夜知った。(あの釣り目ののろけ話に付き合えたのは、単に自分の知らない彼を知りたかっただけにすぎない)
「じゃあもう私は行くね。友達待たせてるからさ」
「あ、」
もう終わりか。本日も何の進展もないとは、我ながら非常に情けない。
「あ、ソレは2本が君ので、残り一本は君と一緒にいた小野くんに渡してね」
「いえ。俺、2本は飲まないので、1本良ければどうぞ」
こちらが声を駆けるまで待っていたのなら、芭蕉も喉を潤したいはずだ。
駆けだそうとした芭蕉は、突然かけられた声に、きょとん、として振り返った。
「でもそれ、閻魔とあの子からのお詫びだし」
あの子?聞きなれない単語が出てきた。そういえば、何故3本もあるのだろうか。
「あ、いけない。内緒だったんだっけ」
でも、別にはっきりと言われたわけじゃないからいいのかな?そんなことを芭蕉が呟いていたが、鬼男にとっては"あの子"の方が重要だった。そういう権限は無いが、自分の知らない人とのかかわりが気になってしまう。
「誰ですか」
ここで笑顔を作れたことを褒めてもらいたい。内心は勢いのままに問いただしたいところを抑えているのだ。
「曽良くんて友達でしょ?」
いや、よりによってまさか。
「まぁ、はい。今日の草むしりの元凶ですね」
「その子がね、購買で」
自分の凡ミスで罰掃除を受けている鬼男と妹子の方を気にしつつ、ラムネを持ったまま同じところを旋回するという不審人物に声を駆けたところ、「これ、アンタからだと言ってあその2人に渡してください」と半ば強引に押し付けられた、ということらしい。その一連の行動からして、誰であるかなど明らかだった。
「すいません、河合には後で言っておきます」
「いや、そしたら私がばらしちゃったこと分かっちゃうから気にしないで。それより、ほら。鬼男くんたちへのものなんだし、私がもらうのはちょっと」
「じゃあ、あいつからのをもらうんで、大王からのをどうぞ。あの馬鹿には別のものおごらせます」
遠慮気味な芭蕉に、そういうところがまた、と我ながら頭の沸いた言葉を思い浮かべつつそう告げると、そういうことなら、と受け取った。芭蕉は受け取った直後、ふふふ、と嬉しそうに笑う。
「なんですか」
「いや、優しいなー、と思ってさ」
じぇんとるまん?
からかいを含んだ表情に顔が熱を持つ。
ソレを冷ますようにして手元のラムネを一気に飲み干した。
妹子が戻ると、2人分の袋がすっかり満たされていた。驚きお礼を言う妹子に、何故だか上機嫌な鬼男が気にするな、という。暑さでついにおかしくなったか。熱中症にでもなったら大変だよな。そう危惧しした妹子が額に手を当ててこようとするのをいらないと制しながら、鬼男は芭蕉から届けられたお詫びの品を差しだす。
「ほら、小野の分」
「え、ラムネ?なんでさ」
「河合から」
「へぇ。あいつもかわいいとこあるんだな」
ソレ渡しに来るところ見たかったかも。からかう気満々の声を聞きつつ、届けに来たのは別の人だと伝えるのを止めた。
妹子の性格を考えると、お礼を直接伝えようとするかもしれない。
それは何だか、非常に、面白いことではない。
まぁ、その分の礼は俺がまとめてすれば良いことだ。
「帰ろうぜ」
妹子を促しつつ、ポケットの液晶を覗き見る。
1件の新着メール。
慌てて中を覗き、心の中で大きくガッツポーズ。
YA-HA-!!俺はやったぜ!!
「お前、今日何だかおかしくないか?」
「ん?かわんねーだろ。普通だって」
そう言いつつ、口を尖らせ、軽快な旋律を奏でる鬼男の姿は誰が見ても上機嫌そのものだった。
それもそのはず。彼の恋路が本日、大きくステップアップしたのだから。
「やっぱり、タダでもらうのは悪いな」
「いえ、これを届けてくれただけでタダじゃないですよ」
「あ、じゃあさ。今度の夏祭り、一緒に行かない?そこの屋台で松尾がラムネおごってあげる」
日時と待ち合わせ場所のメールを眺めつつ、ソレに至った経緯を幾度も反芻する。
しばらく同室の2人からはあまりの浮かれ具合に医者の診断を仰ぐべきじゃないかと本気で心配されるほどだったという。
初デート、と意識し当日を待ち望む鬼男の願いは、大勢の方が楽しいでしょう、という無邪気な芭蕉の笑顔によって木っ端微塵に砕け散ることとなるのだが、それはまた、別のお話。