恒例行事




当たり前のぬくもりを手放すことが、1日の始まり。



のそり、と布団が動くことで、朝だなと分かる。同時に、暖かな熱を奪われた体がぶるり、と震えた。
独りになってしまったベット。ごろり、とやる気のない寝返るだけ打ってみる。
角度を変えてもダメだ。やっぱり、眠れない。
先ほどの寒さは、体か、心か。
そんなことを思い浮かべて、嗤う。ここまで入れ込んでいたのか、と。過去を知る友人が見たら、とるであろう行動を想定する。
自覚がないだけに、重症なのだ。
ふと、窓辺に視線をやる。閉じられたままのカーテンからはまだ光が差し込む様子は無く、自分が予定より少し早くに起きてしまったことを知った。なんだか損をしてしまったようか気分になる。
あと一時間後に目が覚めてたとしても、すっかり冷えた隣の脱け殻を見ることになるのは変わらないのに。
必要の無くなってしまった携帯のアラームを止めようと、腕を思い切り伸ばす。
どうせすぐには起きないでしょう、と言って枕元にはけして置いてくれないそれ。
「電話が鳴ったら困るのに」と言うと、「だったら出なければいいじゃないですか」と返ってきた。
その言葉が、平静を装いつつ、実はかなりの勇気をもってして発せられたものであることは、彼特有の漆黒の髪の隙間から見える、赤く染められた耳で分かった。
思い出したら、少しほっこりと温かくなった。まどろみつつ、手探りであちらこちらを探るうちに、肩から毛布がずれて一糸まとわぬ剥き出しの肌が冷気に触れた。
「・・・・さぶい」
ひいぃぃぃ。と、声には出さずに布団に逆戻りした。



いつも芭蕉より一時間ほど早く起きる曽良は、今日も台所に立っていた。
朝は和食を譲らない曽良によって、朝の当番が決まったのである。(夜は早くに帰った方にまかせる)
トントン。早くもないが、危なっかしい手つきと言うわけでもない速さで包丁がまな板を動き回る。
我ながら上手くなったな、と感心できるほどにすごかったのだ。初めてマトモに台所に立った日の惨事は。


「危ないよぅ」
「このくらいできます」
「いや、もうだめだからっ。その手つきがすでに凶器だからね!?」
やめてやめて、と青ざめつつ繰り返す芭蕉を、包丁を持った手をそのままに睨みつける。
何をそんなに言うのだろうか、野菜を切るくらい。
真剣に食材と向き合う曽良は知る由もなかったが、その時の手つきは、平手を野菜にぴたりと張り付けるという格好だ。
料理は猫の手。なまじ切るスピードだけは速いため、いつその指先が食材として料理に混入してもおかしくない状況なのだ。
「あああ、切る、切るぅぅぅぅ!!」
「うるさいです」
「カレーライスっ」
そんな心配をよそに全て切り終えた曽良は、叫び過ぎと心労で疲れきっている芭蕉にアッパーをくらわせる。
殴られつつも、しっかりリクエストする事を忘れない芭蕉に、ルー買ってきてください。と言った。
後で、あれは別に食べたい物を言った訳ではない事を知った。
殴られた時の口の形でなんとなく言っているんだってさ。黒紫の瞳が可笑しそうに揺れる。
あなたも殴ったことがあるんですか、意外そうに聞くと、昔はあいつもやんちゃしてたからね、と本当か嘘か分からないような答えが返ってきた。
芭蕉の友人というその人物を、曽良は日頃から苦手としていた。明るく、面倒見の良い人柄だと会社でも好かれる人材だったが、なぜか近づきたくない相手だった。
ただの嫉妬だった、と今なら分かる。
芭蕉以外の口から、自分の知らない芭蕉のことを聞くことにイライラしていたのだ。
自覚の無かったそれが積もって、どうしようもなくなって、約束も無いまま家に押しかけた。
そうだ、あの日が。



随分と長く回想に耽っていたらしい。
「大分上手くなったねぇ」
欠伸をかみ殺しつつ、背後に現れた人物に全く気がつかなかった。
先ほど自分が何を思い出していたのかを突きつけられた気がして、妙な居心地の悪さを感じる。 あ、そう言えば、パジャマ。昨夜には記憶のない、しかし懐かしい柄が目に入る。
ああ、昨日は何も来てなかったから、と考えてなぜか無性に恥ずかしくなった。何をいまさら。
こちらを見つめる曽良の視線に気づいた芭蕉が、今さら何照れてんの、とからかいつつ、嬉しそうに笑う。本人が何を想像していたのかすぐに思い当たった。
「これね、ほら、初めて君が泊まってきた日と同じなんだよー」
くるり、と一回転。
「ワァオジョウズデスネ」
完全なる棒読みで誤魔化してみる。何年経とうが、慣れないものは仕方がない。
「いい加減慣れてよ」
「いい加減あきらめてください」
性分なんで。言いつつ調理に戻る。
「あ、良い感じじゃない!」
形も上々。ひょいとまな板を覗き込んだ芭蕉が先ほど切った野菜を確認し、うんうん、と頷いた。 栗色の癖毛が首筋にかかってくすぐったい。可笑しいのをこらえると、仏頂面になった。
「邪魔です」
「ひどいなぁ」
邪険に扱われることに慣れているため、苦笑しつつ顔を離す。瞬間、柔らかいモノが僅かに触れた。おや、と芭蕉は思った。
彼から仕掛けるのは珍しいからだ。証拠に、全然眼を合わせようとしない。
「慣れないね」
「ウルサいです」
でもさ。仕返しとばかりに、ニヤリと口角を上げて言う。

「ちゃんと口に出来るようになったじゃない」





爆発的に体温を上げた曽良によって、仕返しが来るまであと少し。