また畳の跡が付いちゃうな、と芭蕉はぼんやりした頭で思った。身動きの取れない体勢ではあるが、それをしているのが弟子であるうちは、もはやなんの動様もない。
ああ、またか、と考えるだけだ。いつも、そこまでだから。
何が枷になっているのか大方見当はつくが、越えられないのならば、しなければいい。
限界ならば、それを壊すだけしてもらわないと。私は絶対に、つかまらない。
「ば、しょう、さ ん」
ああ、また、ほら。そんな顔するくらいなら、止めればいいのに。
かすれる声で私の名を呼ぶ弟子は、大きな体躯に合わずに幼子のように小さく見えた。
日差しがやや傾いて、縁側からやわらかく心地よい蒼い風が入り、ちりんちりん、と澄んだ、ガラスのこすれるような合わさる音が遠くに聞こえた。
じじじじじ、と自分の短い命を叫ぶように生きる蝉の声だけが響く午後、珍しく訪ねてきた弟子は、気を利かせてお茶を振る舞う私の手をいきなり掴み、畳へと縫い付けた。
それはもう、一瞬のことで、抵抗する間も驚く間も与えず、視界一杯に、弟子の姿。
肘を私の耳元について、囲うように。
さらさらとした彼の黒髪が私の茶気がかった髪の毛と混じるほどに、その距離は近い。
お茶をこぼさない絶妙なタイミングだったから、だいぶ前からこうするつもりだったんだろう。初めてそうしたときに畳が染みになっちゃったことがかなりばつが悪かったに違いない。(あの時の顔は一生忘れないと思う)
その先が無いのはあきらめたが、この体勢は普段はよく見れない弟子の顔がよく見れるから、良いと言えば良いのだ。
深く暗い瞳が、白く透き通るような肌によく映えていて、きれいだな、と思う。
ゆらゆらと揺れる黒い瞳には、彼の感情が表れている。
普段は顔にも声にも自分の気持ちを表せない不器用なこの子は、目にだけは正直な心が現れる。最も、それを読み取れるくらいに近づけるのは私だけなのだと、自惚れるわけではないが、知っているけれど。
そういうところが、かわいいな、とこっそり思っていることを、けして言うつもりはないけどね。(言えば断罪必須だし)
「どうしたの」
かろうじて動いた左手で、頬に触れるとビクリ、と肩が跳ねる。
その反応を見てこっそり苦笑した。
なぁに、それ。囲われてるのは私なのに、追い詰められてるのは曽良くんみたい。
押し倒すだけしておいて、どうにも行動はできないくせに。それでもしてしまうのは、さ。
「せっかく、羊羹持ってきたのに、ぬるくなっちゃう。曽良くんあれ、好きでしょう?」
「・・・・・嫌いでは、ないです」
「そう、私は好きだけどな」
「・・・・っ」
すき、と言ったのは羊羹なんだけど。にっこり笑って返してやれば、とたんに唇を引き結んだ。
望んだ返事をくれなかった彼に、ちょっとした悪戯だ。
耳元がうっすら赤いことを、曽良くんは分かっているのかな。
いつも通りの顔に不釣り合いなその朱がなんだかおかしくて思わず笑ってしまった。
「・・・・なんなんですか」
「ふ、いや、ちょっと、ふふ・・・・って、ああああ、痛い痛い。手首取れちゃう!!」
「うるさいです」
「はぁ!?曽良くんがしてんで――――――」
今宵の夜は長くなりそうだ。