茹だるような熱い日差しを浴びながら、芭蕉は曽良と共に左右に田畑の広がる一本道を歩いていた。時に俳句を読みながら、時に駄々をこねて断罪されながら、それはいつもと変わらぬ光景だった。
ジリジリと背を焦がす日射に中てられてしまったのか常のスランプなのか、芭蕉が詠んだものは普段以上に駄作であり、曽良の断罪スキルは今日一日で各段に上がっていた。
「鬼弟子の チョップが痛いぞ この野郎」
「この下手男がっ!!」
「入道雲っ!!」
スザザザザ、と芭蕉の体は道成に滑っていく。飛行距離はこれまででトップクラスに値した。怪しげな飛行物体に道行く人はぎょっと目を見開く。
暑さのせいで変なものを見たのだとかぶりを振って、今しがたの記憶を消そうと奮闘する姿が見られた。
「ごらんなさい。松尾芭蕉が飛ばされていく」
そうした人々とは対照的に、いつも以上のキレで飛ばしたその物体を見送る曽良の表情は頭上に広がる青空のごとく晴れやかだった。
芭蕉の体は丁度、脇に生えていた大木の下で止まった。
「や、やっと止まった…。ああもう、顔擦り剥けてイッタイ!!」
チクショーだのあんまりドゥだの散々文句を言った後、どっと疲れを感じた芭蕉は、近くに腰をおろそうと辺りをキョロキョロ見回した。
すぐに目の前にそびえる大木が目に入った。
太い幹はいくつか枝が分かれて絡み合い、そこから沢山の葉が茂っている。陽光を浴びて育った分厚い葉が幾重にも交じり作られた陰は濃く、時節吹く風で揺れる木の葉の擦れる音がなんとも涼しげだ。
「うっほほ〜い」
朝からこのむしむしする気候と付き合ってきた芭蕉にとって、そこは正に砂漠の中のオアシスである。迷うことなく木陰に入り、その心地よさを堪能した。
首を締め付ける紐を解き、笠を外す。途端にうなじにひんやりした風が通り抜け、ほぅと息をついた。
いつもならば「置いていきますよ」とチョップを食らわせてくる弟子は、畑の手入れをしていた農夫と何やら言葉を酌み交わしていた。
次の町までの行程を確かめているのだろう。
これから入る山道は険しくはないが入り組んでおり、時折その地形を利用した盗賊の被害に遭う者が出るという。正しき道を行けば被害に遭わぬ上、普通の道よりかなりの近道になると聞き、路銀に制限のある二人はやってきたのだ。
何が起こるか分からぬ旅路、迎える夜は少ない方がいい。
曽良は最終確認をしているのだろう。身振り手振りを交えながらの話はしばらく続きそうだ。
曽良がつくまでは此処に居れるとふんだ芭蕉は草地の上に腰を下ろして幹に寄りかかった。
しばらく目を閉じてサワサワとした葉のざわめきに耳に傾けていたがふと、幹の一点に目を向けた。
なんてことはない普通の枝が分岐し、緑が繁るだけの代わり映えしない光景だ。これと言って怪しい姿は見えない。
しかし芭蕉は眉間にを皺を寄せ、眼光を鋭くした。姿の見えぬ何物かを捉え、視線で動きを封じる。
しばらくじっとしていたが、やがて眼光を緩め、にこりと笑った。
話は聞く、という合図である。
すると、その笑みに答えるようにはらはらと数枚の木の葉が落ちてきた。
葉に込められ暗号化された思念を感じ取り、直ぐに意味を咀嚼した。
<お仕事です。宗政殿。これからあなた方の向う山中に潜む盗賊団の頭を殺ってほしい。>
じっと最後の一枚が地に着くのを見届けてから、おもむろに口を開いた。
「ねぇ、私じゃなくても良いんじゃない?」
ただの依頼に数人もよこす必要があるのかと、暗に芭蕉は問うた。
表情こそ穏やかだったが、その声色は不快さを呈している。
方や、何故ばれたのかと薄ら寒いものを感じる交渉人。力関係は明らかである。
しかしここで引くことはできない。と、意を決して彼らは己が言の葉を葉にこめる。
<いやしかし、翁><この盗賊はかなかなのキレ者でして><我らの手には負えませぬ>
<お力添えを―――><さもなくば同行人である彼を><確か、河合殿とおっしゃいましたか>
<どうされても良いのなら>
隠者の怯えが表れているのか、真っ直ぐ重量に従って一斉に葉が落ちるその光景は、どこか不気味であった。ぼとぼとと落ちる思念の塊には目もくれず、芭蕉は視線を外さない。
今度は不快さを隠しもせずに言う。
「曽良に手を出したら、」
良いながら懐に手を入れて、幹に向かって投げる。
小刀が刀身の限界まで葉を差して幹に突き刺さった。
「こうなるよ。」
今度ははっきりと向こうの気が乱れた。
ビビるくらいなら言わなきゃ良いのに。
毎回そう思うが、彼らは曽良を引き合いに出すのがよっぽど好きらしい。
曽良を完全なる一般人だとみなす彼らにとって、それは格好の餌であった。また、相手の弱点を突くことは、交渉人に基本中の基本である。
これまで一人で依頼を受けてきた芭蕉からしてみれば、そんな脅しは不快なだけで恐怖を煽るものではなかったが。
彼らが束になったところで、曽良には指一本触れることはできない。
大抵返り討ちにするのがオチだったが、向こうも今回はそうは問屋が卸さなかったらしい。
組まれた術式により、ザワザワと葉が揺れ、お辞儀をするように枝がうなだれた。
木全体が震えミシミシとしなる。
バサバサと異変を感じた鳥が飛び立っていった。
曽良に気付かれるのはまずい。
チッ、と舌打ちし、吐き捨てるように是と答えた。そう答えるまで続けるつもりだったのだろう。その一言を待っていたかのように、大木はピタリと止まった。
「報酬は倍はもらうよ」
少なくともそれくらいはもらわないとね。
不機嫌なのを隠しもしない低音でそういうや否や、懐からぐったりとした熊のぬいぐるみを出し、幹に向かって投げつけた。
勢い良く上へ放り出されたそれは吸い込まれるように枝に登っていく。
倍価で雇えるなら安いものだと、彼らはしっかりそれを受け止め、とけるようにして消えた。
しばらく見上げ、落ちてこないことを肯定の意だと確認した芭蕉は、コキコキと首を鳴らし、顔を下ろした。毎度ながら、この体制は首が疲れる。
体をほぐしながら考えるのは、仕事の算段だ。あれやこれやといくつかのパターンを考えて仕事に臨むのがこの業界での定石である。
こちらには問題はない。
そう、問題は、
「どうやって曽良くんとはぐれるかなぁ」
仕事を受けることを渋らせた要因を、どうやって引き離すか。
(下手に怒らせてあの子のチョップ受けるのはちょっと、いや、かなり痛いし。)
殴られない方法もあるにはあるが、以前試した時の曽良の傷ついた顔がかわいそうでそれ以来やってない。要するに「彼の作品をひどく中傷する」というものである。
やはり殴られるしかないか・・・
仕事の算段よりも頭をひねらせる自分に苦笑した。
(なんだかんだであの子には甘くなってしまうからなぁ。)
そうした自分を嫌いではないと思えることが、素直に嬉しい。
曽良だけは巻き込まぬよう、細心の注意でこれまでやってきた。
いっそ、すべてを話してしまおうか。
端正なあの顔はどんな表情を見せてくれるだろう。
今まで自分が断罪してきた情けない師匠が、その気になれば曽良の断罪チョップをよけるどころか、ひとひねりで彼の息を止めれること。
これまでの駄作はすべて、交渉人との通信するための暗号だったこと。
怒らせてわざとはぐれるのは、仕事を行うためだということ。
これまでの旅も、皆、遠方からの依頼であったということ。
裏稼業を隠すために始めた俳句がこんなに楽しいものだとは知らなくて、こんなに人に慕われるとは思わなくて、今更素性を明かせぬところまで弟子に愛着を持ってしまったなんて。
破門してしまえばそれまでなのに、傍に置いておきたいなんて。
怒るか、怯えるか、離れるか。絶望的な考えしか浮かばず、そっと溜息をつく。
先の交渉人がこの姿を見れば、芭蕉に関する認識は大きく変わっていただろう。
幾人もの咎人・罪人・抜け人の制裁、報酬さえもらえればどんなに汚い泥もかぶってきた。
これはひとときの幸福だ。誰にも邪魔はさせない。
鞄を持って、話し終えた曽良がこちらまで歩いてくるのを待つ。
その表情は、いつもの「松尾芭蕉」であった。