さわさわさわ
木の葉が風に任せて身を寄せ合う音だけが聞こえる。
どのくらいそうしているのか。男が10人誰1人として動かない様子は、まるでよくできた絵画のように山道に馴染んでいた。
否、一人だけ、ひぃ、だの、うぎゃだの叫ぶ男は別だ。栗色のくせ毛の下に顔面からのあらゆる分泌液を張り付け、薄汚れたよれよれの着物を着た、「情けない」を歩かせたらきっとこういう奴だな、
と誰もが賛同するであろう人間である。初めは大げさな動作で、私に手を出すとただでは済まないぞ。
などと大口を叩いていたが、身を拘束されるや否や一転、涙目で助けを請う言葉を延々と述べた。
それも先ほど、煩いと刀を首筋に当てられてからはまともに言葉を発していない。
いや、もしそうされていなくても、すぐに一言も話せなくなることには変わりはなかった。
現在静止している8人の山賊と共に。
9人の男たちは、皆一様に1人の人間を見つめていた。青みがかった黒髪に切れ長の瞳を細めた男が、こちらを射抜かんばかりに見ていたからだ。
「・・・・で?」
絶対零度の冷気をまとった硬質な声が落ちてきた。けして大きくはない、むしろ葉のざわめきに混じり消えてしまいそうなほどの小さな音だ。
しかし、それは確かに聞こえた。こちらに対して、何か答えを求めていた。
答えなければ。
その場の皆、心は一つだった。答えなければ、あの男に。そうしなければ、
(―――――殺られる。)
それは確信だった。こちらには武器もある、人数も勝っている。なのに、動けない。蛇に睨まれた蛙のごとし。
どれだけの殺気を放てばこの人数の、しかも山を縄張りとする猛者の動きを止めることができるというのか。
「どうやら、命惜しくは無いようですね」
誰も口を開かない様子にしびれを切らし、とうとう男は戦闘態勢に入った。
どこから取り出したのか、大男1人の首など簡単に落とせそうなほどの鋏が陽光に当てられ鈍い光を放っていた。
「は、お、お前は自分の立場ってものを、わ、分かっていないようだな!! こいつがどうなってもいいのか!?」
明らかに虚勢と分かる口調だが、山賊の1人が、その場に関しては極めて愚かな行動をとった。
お前の勇気はもっと別の使い道があるはずだ。残念なことに忠告してくれる人間はそこにはいなかった。
それが、そのことが、元凶であるというのに。
「ほう、」
男は、口元を歪めた。見ようによっては笑っているかのようにも見える。
「これ以上曽良くんを刺激しないで・・・」
首筋に刃物を当てられていることより、弟子の笑顔が怖い。芭蕉には、曽良がとても楽しそうに見えた。
人間は、ある一定の怒りを超えると、笑うこともあるという。
河合曽良は、切れていた。
「あの、」
早足の弟子に、遠慮がちに声をかける。思うままに暴れた曽良が、とどめを刺す寸前になんとか連れ帰ってきたのだ。
あのままでは確実に血の雨を見ていたことだろう。完全に我を失う寸前でよかった。
「ねぇ、」
確実に、話しかけるな、近づくな、と背中で語っている曽良に向かってその一言を発するのは至難のことだった。
案の上、答える声は無い。もとより期待していなかったことなので、かまわず続ける。
「まったく、助けに来るのが遅いよ!!君がケチって自分だけしかおかわりのお団子頼んでくれなかったからこんなことになるんだぞ!!」
「師匠が捕まっちゃうなんて。まぁ、松尾一人でも本当は勝てたけどね、ほら、弟子の力量を見るためにわざと捕まったんだから」
そこまで一気に吐き出し、曽良の断罪を警戒する。普段ならば、もう飛んできてもいい頃だ。
が、予想する衝撃が無い。あれ、と思いつつ、再度口を開いた。
「でも、ふぶう」
「弱いくせに、一人で出歩くな、と何度も言っているでしょう」
よそ見をしつつ話しかけていたため、曽良が立ち止ったことに気がつかなかった。
言おうと思っていたことは、音になることなく、相手の背中に吸い込まれた。
こちらからは、どんな表情なのかは見えないが、曽良の怒りは収まっていないことを悟った芭蕉は、「ごめんね」とだけ謝った。
それ以上は何も言わず、曽良の横を通り過ぎる。が、下腹部の衝撃に思わずしゃがみこんだ。
「ごっふぁあ!」
「すみません、八つ当たりです」
こうした理不尽な断罪は多々あったが、面と向かって「八つ当たり」と言われたのは初めてだ。
それだけに彼の怒りは深いのか。何やらひやり、と背中を撫でられたような気がした。ものすごく怖い。
「はやくしなさい。置いていきますよ」
考えこむ芭蕉を置いて、曽良は少しだけ先を歩いていた。心なしか、すっきりした顔をしている。
言葉に嘘はないようだ。そして、もうそれ以上このことに触れる気はないのだろう。
さっきの一撃で終わらせたつもりなのだ。
なんだ、大丈夫だ。なんだ。
変な心配をしていたことがおかしくなって、曽良を追って駆けた。
風のない、しん、とした闇だけが広がる山中で、昼間の山賊は話していた。
「あの男、次に会ったらただじゃおかねぇ」
「いや、待て。あの顔を見たろう? 場所によっちゃあ、このくらいで」
男の示す数字に、おおお、とどよめきが起こる。
「でもさ、」
まだ記憶に新しい男の風貌を思い出しても、浮かぶのは、凍えた瞳。
「あんな奴、捕まえられるか?連れの男の人質作戦はもうきかねぇし」
いやいや、と1人が言った。
「あいつ、右手やってるぜ」
「右手?」
「ああ、一撃受けたから分かる。あいつ、折れてはねぇにしても、捻りはしたんだろうな」
構えがおかしくなってた。その一言で、とたんに場の空気が明るくなった。
「じゃあ次は」
「ああ」
行くぞ。の言葉を合図に、拳が一斉に上がった。松明を掲げ、寝静まった夜を狙う。
最小限の足音にとどめ、山道を下る。獣や山賊の出ると噂のこの道を夜半に通るおろか者はいない。明りはもう少し行って消せばいい。
獣を追い払うための手段だ。あまり早くに消しては危険だ。
咆哮が聞こえないか、自然と耳に神経が集中する。そして、あれ、と1人が気づいた。あれ、何で足音が9人分あるんだ。
おかしい。皆に知らせないと。口を開く。だが、その時にはすでに意識は無かった。
どさり、という音が響く。誰かが倒れた。なんだなんだ。傍の男に近づき、ゆり起そうとする寸前、背後に気配を感じ振り返った。しかし、叫ぶ声は音にならない。
一つ、一つ、足音が消えていく。足音が乱れ、叫び声すら飲み込んでいく。
自分の周りで何かが起こっていることが分かっていても、何がいるのかが分からない。
ぎゃああ、という叫びを最後に、自分が1人になったことを知った。何も聞こえない。火はとおに消えてしまった。
「だ、誰だ」
どもりつつ、問う。どこにいるのか分からないため、首だけが忙しなく動いた。
「ああ、君かぁ」
くすくす、と闇が笑う。その慌てた声、よぉく覚えているよ。男のものと分かるその声に合わせるように、先ほどまでの静けさを破るように風が木々を揺らした。
さわさわさわ
男は気付く。この感覚が体に刻まれてから、一日と経っていないのだから。
「お前は、昼間の!?」
だが、あの時のような冷気も、硬質な声も無かった。あの男はどこにいても分かるくらいの怒りを全身で表していたはずだが、目の前の男にそれは無い。
不気味なほど、穏やかだ。
「せっかく、助けてあげたのに。本当に命捨てる気なんだ」
あーあ、曽良くん止めるんじゃなかった。つまらなそうに、闇は言う。
「まぁ、無駄な殺生って趣味じゃないし、あの子のきれいな手を血で汚すのは嫌だったからさ、ほっといてもよかったんだ」
何を言っているんだ、と問いかける瞬間、喉元に強烈な圧迫感があった。ぎりぎり、と布がしまって息が、できない。
「でも、君たちがあの子に手を出すというのなら、話は別だよ」
始終穏やかに、男は話す。くすくす、と笑いながら手に力を込める。そして、男が意識を手放す瞬間に、手を緩めた。
ひゅおお、と解放された喉に酸素が入る。げほげほ、とせき込みながら、男は、もう自分の周りには誰もいないことを確認したかったが、震えて動けない。
極限まで追いつめられた体には、拭い去れぬ恐怖が叩きこまれていた。
昼間のものより何倍も。何倍も。
黒芭蕉で、曽芭曽でしたが。いかがでしょうか?
私、書きながら思ってしまったのです。我が家の芭蕉氏って、もう十分黒くないか?と。
しかし、そこにあえて黒芭蕉というリクをいただいてしまったのですから、せっかくだから、まっ黒な師匠を書いてみた結果がこれだよ!!
ご希望に添えてない場合はメルフォにておっしゃってくださいまし。シリアス路線を迷走してしまったようです。
互いに相手が好きすぎて手を出しやがったらぶっ殺すぞ!な師弟にしてみました。珍しく師匠のほうが弟子より愛が大きいです。
ではでは、よろしければ、お持ち帰りくださいー。